光源に近づくほど、影は濃くなる。
影を追っても、一生追いつけない。
正義を強調すれば、争いが起こるし、争いを起こせば、正義がつくられる。
自由を体験するために不自由さを獲得して生まれてくる。
肝心なことは、光に近づくことでもなく、影を追いかけることでもなく。
光を当てられたわたしが、生きるということ。
光と影があるから、「わたし」というのが浮かび上がってくる。
どんな「わたし」に光をあてるのか、それが問題。
ダイヤモンドのように生きれば、ダイヤモンドのように輝くし。
泥沼のように生きれば、どろぬまのように輝くし。
天使のように生きれば、天使のように見えるし、悪魔のように生きれば悪魔のように見える。
愛を体験したければ、「わたし」がただ「愛」になればいい。
平和を体験したいなら、「わたし」がただ「平和」であればいい。
仕組みが単純なだけに、いざ生きるとなると、やっかいでもあり、エキサイティングでもある。
というようなことを『X-MEN Final Decision』を観ながら思ったとか思わなかったとか。
霊性メソッドがあれば、光も影も追いかけずにすむダイヤモンドな生き方が可能です。
X-MEN Final Decisionでは、ミュータントと呼ばれる特殊能力を持った人と、そうでない人とでかるーく戦争が起こります。
特殊能力と言っても、金属を自由に操れるとか、瞬間移動できるとか、カベを通り抜けられるとかいった程度です。サイボーグ009みたいな感じです。
特殊能力のある人がない人よりも充実した人生かというと、そうでもなく。結局、どう生きるかで決まります。
オーラが見えるようになった、他人の思考が見えるようになった、幽体離脱ができるようになった・・・からといって、しあわせが約束されているわけではないようです。
X-MEN Final Decisionでも、特殊能力のあるなしにかかわらず、個性を輝かせているヒーローやヒロインは、人格と直観のバランスがとれている人です。
X-MEN Final Decisionでは、特殊能力のレベルを1〜5の段階にわけています。わたしは人間、あなたはミュータントという区別もあるようです。おそらく、特殊能力レベル0が人間といった感じでしょうか。レベル5は、思ったことがすぐになんでも実現してしまう能力。
人間と、レベル1のミュータントをわける境界線ってなんなんでしょう?
デール・カーネギーさんとか、ナポレオン・ヒルさんとか、キリストさんとか、ブッダさんとかもかなりのレベルで思考を現実化させられるそうですが。人間なんでしょうか? ミュータントなんでしょうか?
と思ったり思わなかったりしますが。
境界線は、やっぱり、1人ひとりの思考のなかにあるんでしょうね。



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