以前、右目の涙と左目の涙について記事を書いたのですが。
ちょこちょこ、「右目 涙 意味」とかで検索されているようです。
気になる人がけっこういるんですね。
まとめときます。
まず、目は、「罪悪感」の象徴。
「わるいことしたなぁ」とか「責任は自分にあるんだろうなぁ」とかいった感情が煮詰まると、目にきます。
だから・・・かどうかは監督によるでしょうが、映画などで目が溶ける描写がありますが、その多くは罪悪感の象徴だったりします。「なんてことしちまったんだぁ。うぉーーー。」というシンボルとして目から溶けてくとか。
感情とのうまいつきあいかたの1つは、キャッチアンドリリース。感じて手放す。感じて手放す。感じて手放す。が基本。
なんだけど、とくに「罪悪感」については、自らが率先してもちつづけようとする人がいます。好んで、罪悪感を持ちつづけて、癒そうとしています。
たいていのことだったら、人は「悪いと思っている人を責めよう」とはしませんから。「悪いと思ってるんだよぉ」という気持ちをもちつづけることで、自分を護ろうとします。
でも、結局、最終的に癒されるのは手放したときだから、罪悪感を持ちつづけていると癒されずに目にでます。
罪悪感のリリース方法は、いろいろでございます。
モデルとしては、
・率直に謝る
・繰り返さないための方策をたてる
・アクションを起こす
・改善する
・たんに手放す
などです。
情報の質でいえば「ごめんなさい」より「ありがとう」がハイクオリティで、「ありがとう」より「愛してます」のほうが高質で、「愛してます」より「愛」のほうが高質だと思っています。
ハイクオリティというのは、そのことばのもつちからが細胞を傷つけないかどうかとか癒せるかどうかといった質。
地球の法則でいえば、高いほうから低いほうへながれるのが「楽」です。
低いほうから高いほうへいくには、エネルギーがいります。
というわけで、罪悪感を手放すには、まず高質なエネルギー状態に自分をもってかなくちゃならない。
失敗したり粗相したりしたときに「たんに謝るだけじゃつたわらない」といわれるのは、このためです。罪悪感を手放すなら、まずは「愛」を思い出す必要があるってことです。自分が愛の状態にちかづけたら、愛する。そうするといろんなことにありがとうって言えるようになる。そうすると、すなおに、クリアにごめんなさいが言えるようになります。
ちなみに、この状態での「ごめんなさい」はたいてい、他人ではなく自分自身に言うべきことばなんだということがわかります。
話がそれまくって、複雑になってきたので、話をもどして・・・。
右目から涙が出る意味は・・・、罪悪感や自分へのいつわり、それから、自分を押し殺しているときに出ます。
左目から涙が出る意味は・・・、罪悪感や感情の解放です。
なので、どちらかといえば、左目から涙が出るのは、うれし涙とか、ほっと安心したときなどです。たいてい、涙が出るときは両目から出ると思いますが、その場合は、罪悪感と感情の解放が同時に起こってます。
ちなみに、俳優のかたのなかには、監督の「右目からだけ涙を出してくれ」という指示にこたえられる人がいらっしゃるそうです。
指示にこたえられる俳優のみなさんもすごいですが、指示を出す監督の感性もすごいなぁと思います。「ここは、右目からだけ涙が出るのがベストな表現なんだ」とキャッチしてるわけですから。

