とくに、ラスト1日、の大晦日は、なにがあってもオープンハートで。師走というくらい、なにか氣ぶん的にもいそがしい12月ですが、もし、これを読まれたとしたら、なにかの縁かもしれません。
オープンハートでいきましょう。
と書いていたら、以前、こんな相談を受けたのを思い出しました。
ご結婚されている女性のかたで、離婚しようと思っているとかいないとか。実際に、離婚届にはサインが。。。その離婚の原因がおもしろいといったら失礼かもしれませんが。
結婚相手に、「今夜は外食にする?」と聞いたそうです。相手は「どっちでもいいよ」と答えました。その女性は、「どっちがいい?」とまた聞きました。相手はまた「どっちでもいいよ」とこたえました。
女性は、つづけて、「ねぇ。新しくできたレストランに行ってみない?」と言いました。返ってきたこたえは「うん。そうしよう」でした。そして女性はさらに聞きました「あなたはどうしたいの?」と。
離婚しようと思ったきっかけは、この会話なんだそうです。もうこの人とはやっていけないと思ったそうです。「うん。そうしよう」とこたえたのに「あなたはどうしたいの?」と聞かれた男性もおそらく、やってらんねぇと思った・・・かどうかは聞いていませんが。
究極のことをいえば、夫婦の問題は、愛が欲しいと考えるところかもしれません。愛されてることを確認したいけれど、手応えがないときに、離婚を考える・・・というのは少なくないと思います。でも、実際には、夫婦のきずなを深めるのは愛をあたえることからはじまるのではないかと思います。
このことは、夫婦にかぎらず、人間関係において、ほとんどのケースであてはまると思います。
ビジネスでも、商品を知ってもらって必要な人にあたえたいと思えば、信頼は深まりコミュニケーションがスムーズになります。あたえてほしいと思って商品を売り込もうとすればするほど、信頼はくずれていきます。
相手から愛をあたえてほしいとか、お金をあたえてほしいとかいう心理状態そのものがクローズドハートな状態だと見ることもできます。
さきほどの女性の話にもどして。
まず「なぜ、『今夜は外食にする?』と聞いたのか」という点ですが、「夕食の支度をする元気がなかったから」ということでした。
「いらついたポイントは?」と聞くと「どちらでもいい」といって、相手が決めてくれない点」でした。
「結局、自分が提案したレストランに行くことになった」ことも気に入らなかったそうです。
こんな感じで、3つか4つ質問したときのこの女性の氣づきは。
「あれ? 最初から「今日は元気がないから外食にしない?」と聞けばよかったのでは・・・。」ということでした。
客観的に聞けば、自分の元気がないのに「外食にする?」という聞き方は、ふつうに違和感があります。でも、本人にとってみれば、その瞬間はわからずに自分でイライラを招いています。この女性は、あとあと冷静に考えると、相手に決断してもらって「自分の元気がないから」ということをなかったことにしたかった心理が働いたのではないかとおっしゃっていました。
たとえば、行きたくないなぁと内心は思いつつ、でも不親切に見られるのがいやだからと「空港まで迎えに行きましょうか?」と聞いたとき「どちらでもいいですよ」と言われたとしたら。
「じゃぁ、迎えには行きませんね」とはまず言えません。そもそも、迎えに行くのがちょっと面倒なのをさとられたくないがために聞いたわけですから。
おおげさにいえば、コミュニケーションの発端としては、「来てください」と言わせたいくらいです。そうすれば、相手の責任にすることができます。「迎えに来てくださいといわれたからいってあげます」という状況を醸し出すことができます。また「来なくていいですよ」と言われればラッキーくらいのことです。
また、ここで感受性の高い相手なら「迎えにくるのは面倒だと思ってるんだろうな」ということを察知します。ですから「おまかせします」とか「来なくていいです」といったこたえが多くなります。考えるに、オープンなコミュニケーションは成立しそうにありません。
まずは、自分の氣もちに正直というか誠実であることが1ばんだと思います。
じゃぁ、面倒だったら自分の氣もちに正直に、迎えに行かないという選択がベストかといわれると、そうではないと思っています。
内心やりたくないなぁと思っていることでも、やったほうがすがすがしい氣もちになれるということもたくさんあります。
肝心なことは、まわりからどう見られるかを氣にせずに、自分の価値をたいせつにコミュニケートすることだと思います。
「迎えに行かないなんて不親切だと思われるんじゃないか」とか「夕食のしたくをさぼったとみられるんじゃないか」を氣にしてもそれほどいいことはありません。
まわりからどう見られるかは参考程度にして、「じゃぁ、自分はやりたくない氣もちを乗り越えてこれをするほうがしあわせかどうか?」ということが大切ではないかと思います。
それほどきまじめに考え込む必要がなければ「今回は忙しいので迎えに行けませんが、氣をつけてきてください」とか「今日は疲れているから外食にしよう」といったコミュニケーションがとれるのではないかと思います。
とはいえ、氣がせいたり、いそがしいときはクローズドハートになる傾向はいなめないと思います。しかも、わたしもふくめ、例の女性のように、あとあと冷静に考えればどうすれば氣もちよかったかあきらかにわかることでも、その瞬間はまったくわからないということがほとんどではないかと思います。
どっちつかずの会話にイライラしだしたら、それがヒントではないかと思います。こころにちょっと余裕がなくなったサインかもしれません。なんとでもなるさと思いながら、深呼吸を1つ2つする余裕をもてればいいのかなと思います。
そんなむかしばなしを思い出しながら。
2008年もラスト1日。
今年最大のおおらかさと愛をもって生きてもいいかなと思いました。
みなさんがすこやかな新年をむかえられますように。
残すところ、2008年もあと3日。
最近では、年末の大掃除の風景もあまり見られなくなりました。多くの人がこまめにふだんから掃除するようになってきたというのもあるように思います。
いっときのブームほどではないと思いますが、風水でも身の回りを整理整頓することのたいせつさがいわれます。
掃除のついでに、とても効果的な整理整頓方法があります。
リラックスして、1つ1つ家具と会話することです。「家具と会話ってあたまおかしいんちゃうん」という意見もありましょうが、それはそれとして。
わたしも一時期、風水にこったことがあり、いろいろ調べたことがあります。いろんな本を読んだりセミナーに出たりした結果わかったことは。。。自分の部屋が、おおむね風水的に見て、理想的な家具の配置になっているということです。
それで、あらためて考えると、自分が家具をどのように配置したいかではなく、家具がどこに配置されたいかを考えてたということです。
それから、整理されていないと、ある一定のテーマがうまくいかないことにも氣づくことができました。たとえば、しごとがうまくいかないというとき、決まって部屋のおなじ部分がちらかっているということがあります。
今年もあとわずかですが、年末のお休みがあるかたは、よーく部屋の家具と会話してみてはいかがでしょうか。部屋をよーく見わたしてみると、なんとなく気持ちわるーい部分がないでしょうか。そこに置かれた家具は、どこか別の場所に行きたがっていたりしませんか?
落ち着きわるそうにしている家具はありませんか?
逆に、落ち着きつつもウキウキ笑顔な家具もあると思います。
落ち着きわるそうにしている家具は、ウキウキするような場所に移してみてはいかがですか。
いまあなたの体験していることや、目の前にあることは、モデルの1つでしかありません。
真実は、いつもあなたの内にあります。
どんなにすぐれた啓発書も、どんなにすぐれた法則も、どんなに完璧な方法も、どんなにありがたいことばでも、それは、すぐれたモデルの1つです。
思考が現実化するというのは、モデル化された法則の1つです。
真実とは、それをどう考え、なにを信じて、どう行動するかによって1人ひとりの内に根付きます。
いまあなたのまわりで起こっていることを見て聞いて触れて観察してみましょう。
それは、あなたの内にあるどんな真実を呼び覚まそうとしていますか?
その内なる真実の発見によって、あなたの行動はどのように変化しそうですか?
今日、願望実現がテーマの本の原稿を書いていてあらためて氣づいたんですが。
ようは、願望実現とは「いかにして【できる】と信じられるか」でほとんどが決まるということです。
マジシャンがトリックを使ってスプーン曲げを小学生に見せた翌日、多くの小学生がスプーンを曲げたというエピソードがあります。マジシャン本人が一番驚いていると笑いながら語ってくれました。
大人は、マジシャンがスプーンを曲げたくらいでは、自分もスプーンが軽々と曲げられるとは信じない。現実を創り上げているのは、まさに信念ってことです。
わたしたちがなにを信じるかということ。
それから、多くの子どもと、多くの大人とのもう1つの決定的なちがいは、【できる】と信じるかどうかというところです。
多くの大人は【できる】ことよりも「それをしたらどうなるか?」に目がいきすぎます。
【できる】ことで富、名声、権力を得られるかどうかの打算のほうが重要になってきます。
生活するには打算も必要・・・というのもしかたのないことですが、これも確実に【できる】の制限になっているように思います。
地球が太陽の周りをまわっているというカラクリをしっているからといって、夕日が美しいと思えないわけでもないと思います。
なにかのカラクリでスプーンが曲がると知っていたとしても、スプーンが曲がることにワクワクしない理由はないと自分に言い聞かせたり聞かせなかったり。
スプーンが曲がるのを見て、わくわくするのかい、しないのかいってところが重要だと思うのです。月に宇宙人が住んでるかどうかは知ったことではなく、月を見てキレイだと思うか思わないかのほうがよほど重要な氣がするのです。
地球の温度が上がっているからどうということもなく、よごれた空を見て悲しくならないかいってことのほうがよほど重要な氣がするのです。
スプーン曲げのトリックを見抜ける観察力もある意味、重要ですが、賢くなりすぎるのは、不自由ではないかなぁと思ったり思わなかったりします。
いまあなたのこころは、笑っているのか、泣いているのか、起こっているのか、哀しんでいるのか。そして、なにを【できる】と信じているのか。
現実は、その投影のことだと思います。
1つのことがうまくいくと、ついつい調子にのってなんでも自分でできるような気になってしまう。そういう氣づきをシェアしてもらえました。
話を聞いていて、自分自身にもそういうところがあるなぁと振り返っていました。
わかちあう人たちがいてこその人生だと思います。
他人のよろこびを祝福し、自分のよろこびをわかちあえる。
そういう人でありたいと思うのです。
思いぐせ
わたしがもっとも敬愛するメンターの1人から教えられたことばです。
コーチングやカウンセリングの勉強をしておきながら、まったく馴染みのないことばでした。
ついつい言ってしまう口ぐせとおなじように、ついつい思うこと。半無意識の思考にかたよりがあることを言うようですね。
たんにクセなので、性質ではないということです。
人生いろいろありながら、一生懸命に生きるわけですから、思考のかたよりはあって自然なことだと思います。
そこで思うのが、思考のかたよりを打開することが創造力の1つではないかということ。
だれかを好きになったり嫌いになったりするのは、思考のかたよりがあるからです。たとえば、ビジネスパートナーのことを好きとか嫌いのレベルでは生み出すものがかぎられます。好きだけにかたよると、ほかの面が見えない状態なので、共同作業が進みづらくなります。
恋人の関係もおなじです。好きにかたよっている段階では、楽しさはあるけれど、生み出すものがすくない。
作曲が好きなだけでは、卓越した音楽は生み出せないのではないかと思うのです。
唄うことが好きなだけでは、卓越した歌手にはなれないのではないかと。
スポーツでもライバルを嫌いなだけでは、卓越した結果は残せないのではないかと。
いわば、思いぐせは、創造性のたまごなのではないかと思います。ただし、ここでいう思いぐせとは、本人にとって心身のストレスになるクセのことです。いつも右肩が下がるクセのあるバッターでも、現状、4割の打率なら氣にする必要のないクセだといえると思います。
3割の打率が1割台に下がってきたのは、どうやら右肩が下がるクセが原因ではないか・・・という場合の認識は、起爆剤になります。このクセを知って、解消することができると、以前より飛距離が伸びたり、打率が上がったり、安定感が増したりなどが起こり得ます。つまり、ヒットの創造性が上がります。
思いぐせを打開して創造性を発揮するには、思いぐせを認識することがもっとも手っ取り早い方法の1つだと思います。ここで課題になるのが、「思いぐせ」は本人が氣づきにくいということです。まわりからすれば明らかなクセも本人からすれば見えないものです。知らず知らずやっていることをクセというわけですから、それを知るにはコツがいります。
もし敏腕コーチがそばにいるとしたら、思いぐせを見抜いて指摘してもらうこともできるでしょうが、なかなかそうはいきません。たとえいたとしても、四六時中指摘されるのも生きづらいと思います。
ストレスの原因となっている思いぐせを知るコツは、はじめはアバウトに考えることです。
自分には「否定ぐせ」があるのか「肯定ぐせ」があるのかを振り返ってみるのがコツです。
というのは、ウソです。
否定ぐせのある人は、同時に肯定ぐせがあります。
たとえば、職場ではだいたいにおいて自動的に他人の意見に反対するクセがあるのに、買い物にいってすすめられるとなんでも買ってしまうというようなことがあります。恋人に対してはなんでも「はいはい」と反応しているのに、外へ出るとあらゆるものごとを拒んだりということがあります。
海外テレビドラマ「フレンズ」に登場するモニカという女性は、旦那の提案に対して半反射的に「NO」と言います。あとあと考えればすぐれた提案であったとしてもです。でも友達からなにかを頼まれると半反射的に「YES」と返す傾向があります。
同ドラマで、レイチェルという女性はフィービーという友人から「あなたは、人のいいなりになっているわよ」と指摘されるシーンがあります。半自動で「YES」と反応してしまうクセです。そんなレイチェルは、友人からでも恋人からでも、プレゼントをもらうと、すぐに品物を交換しに行くところが描かれています。他人から受けとるものには、とりあえず半自動で「NO」とこたえてしまうクセです。他人からもらうものは、氣にいらないと思うくせがついているのです。
クセが本人のしあわせにつながっていればそれでいいわけです。ただ、これらの否定・肯定ぐせは、多くの場合、あらそいを生み出します。
ですから、否定ぐせがどういう相手と状況で起こりやすいのか?
肯定ぐせがどういう相手と状況で起こりやすいのか?
を振り返ってみるのがコツです。
どういう状況で否定・肯定のくせがあらわれるかを認識できれば、あらそいのタネが減っていって、楽しさやしあわせ度もぐんっとアップすると思います。
今年最後のNLPマスタートレーニングが楽しく終了しました。
テーマは直感力と創造力。
願望を10個書いて、直感にしたがった創造力にかえるといった2時間でした。
最近の氣づきは、「決断がないと直感のスイッチはオンにならない」ということ。
将棋では、第一観というのがあります。盤面を見て、最初に有効だろうと思われる数手が思い浮かぶことをいいます。
将棋をくりかえし指すことで、経験の複雑さが増します。複雑さが一定量を超えるとシンプルになります。いろんな指し手を指すという行動のくりかえしが増して、いろんな思考の過程をカットしてシンプルな第一観を得ることになります。
映画監督になりたてのころは、経験が少ないので、あれこれと考えて最適な撮影法を見いだすのに時間がかかります。経験が増すと、瞬時に最適な撮影法が1つか2つ浮かんでくるといったことです。
英語を第二言語として学び始めた頃は、文法や発音をいろいろと考えながら話すので、うまく話せません。あれこれ考えて体験として複雑さが増すと、いろんな考えをカットして会話ができるようになります。
たくさんの体験が複雑に絡まり合うと、結果としてシンプルになって第一観が働きます。
これは、経験によっていろんなことがシンプルになっていくというお話。それで、直感と第一観はちがうのか? ということです。
そこで、最初の話にもどります。
決断がなければ直感は働かないということ。
第一観にしたがって、実際に指すところを想像します。第一観を検討するわけです。これが検討というレベルではなく、決断であることが直感をオンにするコツです。素人の将棋みたいに、「待った!」とかはない世界で決断しなければいけません。
将棋も人生もおなじだと思います。
勝つか負けるかは正味のところわからないけど、つぎの1手を指すことは、決断済みなわけです。だからこそ、第一観を検討することが真剣に想像できるようになります。このとき、直感のスイッチがオンになるのではないかと思います。
また、「負けたらどうしよう」なんて思ってたりしたら、気が散って直感が働かないことがあります。
これは、見方を変えると、完璧主義が直感をオフにするということだと思います。
完璧に勝つ方法なんておそらくありませんし、あんまり意味もないことだと思います。「負けたらどうしよう」と思う原因の1つは、完璧に勝つ方法があるのではないかという思いがあるから。
いまの盤面(状況)、いまの能力で最高に情熱的にできる1手を指すことが重要なように思います。
制限時間のある将棋で確実に負ける方法は、もっといい手があるんじゃないかと思いつづけてつぎの1手を指さないことです。
もう少しアバウトないい方をすれば、「人はつねに完全な存在であると同時に、不完全な存在だから」です。
創造のまえにはかならず想像があります。
どんな1手でも、あらかじめ想像せずに指すことはできません。
充実した創造力を発揮するには、ただ本氣で想像することだと思います。それがあっているかまちがっているかとはいっさい関係なく、本氣の想像が現実をクリエートしていきます。
こうしたらどうだろうなぁではなく、本氣でやっているところを想像すること。その結果、反応がいまいちだと感じれば、つぎの1手を想像すればいいのではないかなぁと思います。
「鏡よ、世界で一番綺麗なのは?」
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「それはシンデレラです
じゃなくて、白雪姫だったか」
この人、答えがしりたいわけじゃない。
「世界で一番綺麗なのはあなたです」と鏡にいってもらって、こころのすき間を埋めたいがための質問です。スキルとしては、質問誘導なんて呼ばれることもあります。
ストーリーが示している通り、質問誘導をつづけていると、精神的にも肉体的にも疲弊していくことになります。いつも期待通りに誘導できるとはかぎりませんし、オープンさも失われていきます。なにより、誘導するのに相当なエネルギーを使いますし、いずれ活力がなくなっていきます。
フロー状態でしあわせに生きるには、チクセントミハイがいうように「オープンマインド」が重要な要素の1つです。
オープンマインドとは、起こることをジャッジせずに受けとることです。
というのは、簡単ですが。
たとえば、わたしの場合、雑誌とかの原稿をだれかにチェックしてもらって「意見を聞かせて!」といっておきながら、「今回はあんまりおもしろくないですね」なんて言われると、正直イラッとすることが・・・以下略。
イラッとするというのは、「ほめてほしかったんだ」ということだと思います。本当に意見を聞きたいわけじゃなかったわけです。こんなとき、わたしは、「意見を聞く前にまだまだやれることがあったんだ」と思います。
自分に自信があれば、あるいは本当にこたえに興味があったとしたら、鏡に「シンデレラです」といわれようが「ハム太郎です」といわれようが関係ない話です。「そうなんだ」ですむことだと思います。
あるいは、家族のだれかに先にお風呂に入って欲しいと期待して、「先にお風呂に入る?」と聞いたとします。人生とはおもしろいもので、期待がつよいほど「ううん。あとでいい」なんてこたえが返ってきます。
たとえば、だれかにデートに誘って欲しくて「おれ、今週末、予定がなくて暇なんだ」というと。デートに誘って欲しいという期待が大きければ大きいほど「へ〜、そうなんだ・・・。それで?」的な空気が返ってくるものです。
「今度の週末はゴルフに行ってきてもいい?」と聞いて、「だめ」って言われることでガックリくるなんてこともあります。これでは、最初から質問する氣がないともいえます。「いいよ」と言わせたいがために会話しているようなものです。
「神様、わたしはどうしてこんなに不幸なんですか?」と聞いたとして。
「それはね、◎◎◎だからだよ」と教えてもらえたとします。
「なるほど、そうだったんですね」となるのか「神様、わたしが知りたかったのはそんなこたえではありません」となるのかでは、生活のクオリティが変わります。
前者は、本当にこたえが知りたくて質問していますが、後者の場合は、神様を批判したいだけです。
過度なジャッジメントや期待は、心身を披露させる傾向にあります。
べつの話ですが、批判的な人脈をつくらないことが成功の秘訣の1つだということがいわれたりします。これがただしいかどうかは別として、聞いてもいないのに「世界一綺麗なのは白雪姫です」とジャッジする人脈は、活力を奪いやすいということはいえると思います。
そのかわり、本当に信頼できる鏡を1つもっておくことは役立つように思います。家のなかが鏡だらけだったら、イライラしますが、1つか2つ信頼できる鏡があることは安心できます。
「お隣さんは部長に昇進したんですって」という会話があったとき、つめたーい空気がながれる家庭とそうでない家庭があります。
言ったほうに強い意図や期待がなければ「それは、よかったね」となります。そうでなければ空気がこおりつきます。「ごめんね。おれがいつまでも万年平社員で苦労かけるね」と返ってくることはまずないといえます。
強い意図をもって言ったほうはイヤミの1つもいえて爽快になれるかというと、そんなことはおそらくないと思います。その場の空気をどう納めていいのやらわからない時間が流れることがほとんどではないでしょうか。あるいは、よけいに腹が立ってくるのが常道です。
「きみ、今月は成績がよくないねぇ」と心配そうな表情で言ったとしても、内心、「おいおいもっとがんばれよ」と思っていたらコミュニケーションのほとんどは食い違います。「そうなんっすよ」的なことが返ってきたら、よけいに腹が立つのがオチです。
オープンさがないと、極寒の空気にこごえてしまいます。
というわけで、あったか〜い人生をおくる秘訣をいくつか紹介しておきます。
・まずは、オープンに話す
・オープンに話せないことは内面の葛藤を解決する
・自信を育む
・他人を祝福する
・他人の価値観を尊重する
・思いやりをもって接する
どれも1日2日でできることではありませんが、こころがければ、人生があったか〜くなってきます。
たとえば、部下に対して「来月はもう少しがんばってほしいと思っているよ」とオープンに話せることが先決。オープンに話そうと意識して、なにかひっかかりがあるなら、自分の内面の葛藤を解決する必要があります。
「部下が快適にしごとを楽しめる環境をつくるのはおれのしごとじゃないか」とか。それをさしおいてオープンなコミュニケーションといっても無理な話ですから。
また、他人を祝福したり、他人の価値観を尊重できないと、自分自身の価値観や人格を尊重してもらえないと思います。これについては、多少無理しても他人を祝福する練習は効果的です。あるいは、祝福できる部分を探すというのも練習になります。
親子間でありがちなことです。起業して成功しても、どこか批判したくなったり。大学を主席で卒業しても「勉強ができてもねぇ」とか。祝福することにフォーカスしないと、どこかしらに壁をつくってしまうことになるのではないかと思います。
ふるい話を思い出したのですが、むかし、「きみ、それはレジャー用の眼鏡だよ」っていうCMあったように思います。不適切だと直接的にいわないのが、日本の奥ゆかしさなのかもしれませんが。「おしゃれでしょ。」と返ってきたら、ムカッとするのは、上司のほうです。
「おしゃれでしょ」と返すのが非常識かどうかはべつとして、疲弊するのは上司のほうです。しかも、発端は、つよい意図を持って間接的なコミュニケーションをとった上司のほうだと言えます。
恋のかけひき、会話のかけひきも楽しみの1つといえますが、それだけでは先にすすめないふれあいやコミュニケーションがあるのかもしれません。
今年もあと少しですね。
みなさん今年は、どんな1年でしたか。
なにを願いましたか?
なにが実現しましたか?
どんな変化がありましたか?
どんな価値観を大切に生きましたか?
だれをたいせつにしましたか?
どんな人と出会いましたか?
1年前より成長したのはどの部分ですか?
自分を誉めるとしたらなにをほめますか?
やり残したことでやりきっておきたいことはありますか?
毎日どんな氣もちで生活しましたか?
どんな長所を伸ばせましたか?
来年に役立つことはなんですか?
断ち切りたい習慣はありますか?
継続したい習慣はありますか?
1年間一生懸命に生きたあなたに、女神が表彰状を持ってきました。
そこには、どんなことが書かれていますか?
関係ないですが、生活のなかに「やりたくないこと」が2割くらいあるのが、しあわせの秘訣だと思います。だから、2割くらいはやりたくないこともやりましょう・・・ということがいいたいわけではなく。「やりたくないことを生活から完全に排除しようとすること」にしあわせは待っていないということ。
やりたいことを生活のなかで増やしていけば、自然に2割くらいはやりたくないと感じることが残ります。これは、こころの深くで、あたらしい発見や成長を望んでいるからだと思っています。
だとしたら、やりたくないことに目をむけて排除しようとするのではなく、やりたいことを増やして、やりたくないこととも仲よくつきあっていくのが賢明な選択のように思うのです。
やりたくないことをいかに楽しむかもしあわせの秘訣の1つだと思います。
べつの面からいうと、やりたくないことに注意をむけすぎていると、やりたいことが見つかりません。サッカー選手にはなりたけれど、きつい練習はしたくない。ウェブデザイナーになりたいけれど、HTMLの勉強はしたくない。などなど、かならず夢や願望とやりたくないことがぶつかります。
そうなると、たいていの人が「これはわたしの本当の夢ではない」とかたづけてしまうのかもしれません。本当にやりたいことは「やりたくないことがまったくないこと」だと誤解があるように思います。
やりたくないことが目立つからといって、夢をあきらめてしまうのは、もったいないように思います。やりたいことを毎日の生活のなかでいかに増やしていくかということ。それから、やりたくないことをいかに楽しくとりくむかということがしあわせの秘訣だと思います。
いまもっともうまくいっていない人、もの、ことが、次世代の主人公
なのかもしれません。
ものごとにとりくむとき、たいていは、とりくむまえの段階でうまくいくかどうかが決定していると思います。たとえば、しごとをうまく楽しくとりくもうと思えば、しごと中ではなく、しごとにとりくむまえの段階でほとんど決定しているのではないかと思います。
バッターボックスに立って、ふりかぶり始める前には、すでにいいバッティングができるかどうかのほとんどが決定しているように思います。
げんかつぎとして、バッターボックスに右足からはいるとか左足から入るとかされているバッターもいると思います。げんかつぎに効果があるかどうかは別として、右足から入ると意識していることで、適切に集中できるなら、十分効果的な方法になります。ぎゃくに、右からか左からか意識することで、集中力がかけてしまうなら逆効果となるでしょう。
あなたがなにかこれからとりくもうとするとき、とりくむ前にどういう状態だと集中しておこなえるかが大切なように思います。
そこで、いちばん手っ取り早いのが、「なにかに取り組む前に、その取り組みがうまくいったことをイメージすること」です。
NLP風にいえば、つぎのイメージをたいせつにすること。
・うまくいったときの氣もち
・まわりの反応
・およぼす変化
フロー心理学の研究によれば、人は、いくつもの作業に対して同時に集中するのはできない、あるいは極端に苦手です。
本を読む、人の話を聞く、走るなどなど、とりくむテーマが変われば、集中するのに必要なこころの状態も変化します。
もちろん、本を読みながら人の話を聞くくらいのことならできると思います。けれど、自己表現として情熱をもってなにかにとりくむとしたら平行していくつものタスクをこなすのは難しいでしょう。
自己表現として、しごとの成果を出したり、料理をつくったり、スポーツをしたりするなら、1つのテーマにしぼることが重要だと思います。
そして、それらに取り組む前には、すでにふさわしい状態になっておくのが大切です。
『ヘアスプレー』という映画のメインキャストの1人であるニッキー・ブロンスキーさん。1988年生まれ。同映画のコメンタリーでこんなことをおっしゃってました。
「普通の人より背が低く体重が重いということだけで、いじめられた。このことは、実際にハードだった」
「どうやって乗り越えたの?」と監督に聞かれてこうこたえています。
「おばあさんにたいせつなことを教わった。
『いじめる人は、みんな自信がないのよ』と」
そして彼女は自信をとりもどしたと言っています。
攻撃する人、いじめる人は、自信がないからというのは、本当にそうだと思います。
ただ、実際にそれを乗り越え氣にならなくなるのは、相当、勇氣と決断がいったことなのではないかと思います。
攻撃されたり、批判されたり、失敗したりしたことで、自らの自信を失ってしまうのはもったいないと思います。
もし、攻撃されて傷ついたときは、自らの自信を育むときなのかもしれません。
おなじように、攻撃したり、批判したりしたくなったときは、一呼吸おいて、自らの自信を育むときなのかもしれません。
すべての人に自信があれば、この世からあらそいがなくなるのかもしれません。
自信を育むための方法の1つは、生理的反応を凌駕して人生をクリエートすることだと思います。
かんたんなところで言えば、もう少し寝ていたいところを起きるとか、お酒を毎日飲みたくなるところを減らすとかいったように、生理的反応を超えて行動することです。
瞬間の快楽のためにドラッグや多量のお酒に走ることが残念なことかどうかはべつとして、そういった依存を自らの意志で断ち切れば自信がつきます。
よりよろこばしいこと、よりしあわせな体験のために、生理反応だけにたよらない人生をクリエートすることが自信をひきだすコツではないかと思います。
そして、「いじめる人は、自信がないからだ」といった知識を身につけることも役立ちます。こういった知識1つで、一氣に道がひらけるといったこともあります。ちょうど、ニッキーが「そうかいじめる人のほうが自信がないんだから氣にしなくてもいいんだ」という氣づきを得たように。
未来と過去はすべて、すでにヒストリー。
過去に起こったことをどのように思い出すかは、いまのあなたの状態にかかっています。
未来に起こることをどのようにクリエートするかは、いまのあなたの状態と行動にかかっています。
だから、いまのあなたにとっては、過去も未来もすでにヒストリー、刻まれた歴史です。
いまのあなたの状態と行動は、つねに、いまのあなた自身が選択できます。
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