あなたは、いったいなにをするでしょうか。
自転車でどこまでも走りたい。
原稿をたくさん書きたい。
たくさんの人をあつめてセミナーをしたい。
エベレストに登頂したい。
美味しいものをいっぱい食べたい。
好きな人と一緒にいたい。
商品をたくさん売りたい。
映画をたくさんつくりたい。
写真をいっぱいとりたい。
たくさんの人を集めて展覧会をしたい。
実際のところ、わたしたちは、なにをすることもゆるされています。
ただ、ちょっとスタートとゴールが見えるから、混乱します。
山のふもとをスタートして、山頂でゴール、あるいは山頂から下山してゴール。好きな人を見つけて、交際して、結婚して・・・ゴール。美味しいものだって、いつまでも食べつづけるわけにもいかず、いずれいったんは満腹になります。
この混乱を打ち破るには、トレーニングの概念を打ち破るのが効果的です。
トレーニングというと、一般的に、なにかをするための必要な準備ととらえられているように思います。
なにかのために・・・ということは、スタートがあって、ゴールがあります。
スタートとゴールにしばられると、とかくはかないものです。ゴールのために毎日を生きなければならなくなります。
もうちょっと、シンプルにいきましょう。
ゴールするためにゴールを設定する必要はないと思うのです。
ということは、目標を達成するために、あるいは望みをかなえるためにトレーニングするのは、ちょっと筋違いだと思うのです。
100m走のゴールを100m先に設定するのは、ゴールするためではないと思うのです。走ることを純粋に楽しむために、便宜上、100m先にゴールを設定しているだけです。質のちがう走りを楽しむために、便宜上、1500m先にゴールを設定しているだけです。
スタートラインに立って「じゃぁ、とりあえず、100m先をゴールとするから、ゴールするために走りなさい」といきなりいわれたとしたら・・・。多くの人が「?」となるのではないでしょうか。
これを逆に考えると、100m先にゴールを設定するから、安心して楽しく走れるのだと思います。
たとえば、人類が結婚というゴールを便宜的に開発したのは、パートナーとの信頼を深めるためです。結婚するために仲良くするわけではありません。満腹があるから、その日の食事に感謝して楽しめると思います。
ここまでは、比較的かんたんです。人類が編み出したテクニックがもう1つあります。
競うことです。
サッカーで優勝するとか、テニスで優勝するとか、営業成績1番になるとか。
この競い合いがくわわると、トレーニングに意味が見いだせるようになります。ついうっかり。
どうしてかというと、ついうっかり、優勝したり勝ったりすることに意味があるように思うから。勝ための毎日になります。
けれど、どうでしょうか。
100m先のゴール自体には、ほとんど意味がないように、勝つということ自体のゴールにもほとんど意味はないように思います。
「なぜ100m先にゴールを設定したんですか?」と聞かれても結局のところ困ります。「なぜ勝つことをゴールに設定したんですか?」と聞かれてもおなじことだと思います。
はっきりこたえられるとしたら
「ただ、そうすることで、毎日を集中して楽しく生きられるから」
ではないかと思うのです。
基準は、いまにいかに熱中できるかだと思うのです。
ゴールするために、勝つために・・・と生きるのは、もったいないように思います。
ただし、純粋に競い合うことはとてもたいせつな要素である場合もあると思います。1人で100mを走るより、仲間がいたほうが楽しいし、より表現力があがることもあります。
100mをいかに速く走るかを目標にすれば、日々、走り方を研究し、実践し、改善して楽しめるのではないかと思います。
スタートとゴールというのは、時間のながれです。時間とは、とてもあいまいなものです。存在しているたしかなものは、「いまこの瞬間」しかないと思います。たしかに存在しているいまこの瞬間のスペースで集中して生きるほうが、人生ゆたかではないかなぁと思います。


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