聖なる預言を読み返したという記事を受けて、ここに出てくるコントロールドラマについてもっとわかりやすい資料がないか? と質問を受けました。
↓もと記事はこちら
シンクロニシティとチャンスと聖なる預言残念ながら、智慧がまとめられた適当なものが見当たりません。というので終わるのもちょっとさみしいので、いままでに読んだコントロール・支配についての心理学の知識をかんたんにまとめておきます。
人は、他人をコントロールしたり思い通りに操作するために、「脅迫者」「尋問者」「傍観者」「被害者」のいずれかの役割を演じようとする・・・ということが聖なる預言シリーズに書かれています。操作されたほうは元氣がなくなり、操作が成功したほうは元氣になるとも書かれています。
脅迫することで、相手がその脅迫に屈してコントロールできたとすると、脅迫したほうは元氣になって、されたほうは元氣がなくなります。相手の問題点を見つけだして、問い詰めて尋問し、相手が「自分がわるかった・・・」となると、尋問したほうは元氣になって、されたほうは元氣がなくなります。傍観することで、わざとそっけなくして相手の氣をひき、相手が「どうしたの?」とあれこれ注意をひくことができると、傍観したほうは元氣になって、されたほうは元氣がなくなります。相手の問題点を見つけ出し自分がどれだけ被害を受けているかを主張し、相手が「わるいことをしてしまった・・・」となれば、被害を主張したほうが元氣になって、主張されたほうの元氣がなくなります。
コントロールドラマと聖なる預言で名付けられているゆえんは、「感情表現ではない」からです。脅迫者を演じる人はけして怒って怒鳴り散らしているわけではないということです。尋問者を演じる人はけしてこたえを渇望しているわけではないということです。傍観者を演じる人はけして、ぼーっとしてるわけではないということです。被害者を演じる人はけしておびえているわけではないということです。
聖なる預言では、このコントロールドラマを抜け出さないと自分らしく生きることはできないと書いています。自然なこたえだと思います。ドラマとして役割を演じるわけですから、自分らしくないのも当然です。ですから、結果的に自分らしくなくなって、生きぐるしくなります。
では、なぜ、役割を演じようとするのかですが、おもな理由は、愛を受けとりたいからです。コントロールに勝たなければ、つまり、だれかを操作して支配しなければ愛を受け取れないと思っているからです。あるいは、子どものころから、愛を受け取るほかの方法を学べなかったからです。
お金とおなじです。相手を操作して支配しないことにはお金は奪えないと思っているようなものです。ですが、実際のところ、しあわせなお金持ちは、「ゆたかさは無限にある」といっていることは、数え切れないくらいの本に書かれています。
お金を含めゆたかさは無限にあると感じている人と、ゆたかさはかぎられていると感じている人とでは、無限にあると感じている人が実際にはゆたかです。愛は無限にあると感じている人と、愛はかぎられていると感じている人とでは、無限にあると感じている人のほうがたくさんの愛をあたえ受けとっていることだと思います。
ここで複雑なのは、「役割を演じる正当な理由がある」ということです。脅迫するには脅迫する理由があり、尋問するには尋問するだけの理由があり、傍観するには傍観するだけの理由があり、被害者を演じるにはそれなりの理由があるということです。
たとえば、中学生の息子が髪を赤く染め、派手な服装でうろうろするから「おかあちゃん恥ずかしくて外に買い物にもでれへんわ!」となったとします。息子が常識外れの服装だということで被害をうったえるのは、一見もっとなことで正当化できているように思います。
けれど、実際には、このおかあちゃん・・・買い物にも行くし、近所の人とおしゃべりもします。「恥ずかしいから外に買い物にでれない」というのは、コミュニケーションの要点ではないのです。本当の要点は、息子が、自分には信じられない服装をしているから心配なんだということです。
もっと掘り下げると、あなたを心配するのはあなたを愛しているからなんだよというのがコミュニケーションの要点です。そして、べつの面から見ると、あなたもわたしを愛しているなら、服装をもうちょっと変えてくださいということです。被害者を演じて間接的なコミュニケーションをとることで、相手に氣づかれずコントロールしようということです。
このことは、つぎの現象からわかります。この例で、中学生の息子が服装を派手でないものに変化させると、おかあちゃんは元氣になります。しかし「そんなん関係あるかぁ! 外に出んかったらええんや。俺が買い物してきたるわ」となると、このおかんはとたんに元氣がなくなります。被害者を演じるおかんにたいして、脅迫者を演じる息子の勝利です。
しかも、「買い物をしてきたる」とやさしいことばまでかけてもらっているのに、おかんの元氣はなくなります。そもそも、外に出られないという被害の訴えが要点ではないので、当然の結果です。
説明が前後しますが、「脅迫者」を演じるときは「被害者」をつくりだして、「尋問者」を演じるときは「傍観者」をつくりだします。あるいは、「被害者」を演じる人は「脅迫者」をつくりだしますし、「傍観者」を演じる人は「尋問者」をつくりだします。
それから、聖なる預言ではすこししか触れられていないのですが、「脅迫者」と「被害者」、「尋問者」と「傍観者」は表裏一体となっています。ちょっと複雑ですが、脅迫者を演じるには被害者の心理が必要だということです。尋問者を演じるには傍観者の心理が必要です。
相手を脅迫するには「被害をうけてるんだよ」という気持ちが必要だということです。「あんたのために、こっちは迷惑してるんだよ」という心理と主張が脅迫者となります。尋問者は「わたしが問い詰めないとあんたは素知らぬ顔でしょ」という気持ちがあります。つまり、どこかで傍観しています。ですから、尋問者を演じる傾向のある人はものごとの進行を慎重に観察し傍観することがあります。
被害者を演じる傾向のある場合も、同様です。「どれだけ被害を受けているか」を示して相手をたじろがせようとします。傍観者も同様です。素知らぬ顔をすることで、相手に考えさせたり、反省させたりしようとして、無言で追い詰めます。
さて、話をもどして。コントロールドラマを演じようとする理由は、愛を奪うためです。ゆたかさにはかぎりがあると考えている営業マンが相手の心理をコントロールしてお金を奪おうとするのと似ています。
奪えれば、一時的に元氣になれて、奪えなければ元氣がなくなります。
聖なる預言に書かれているように、奪い合いの世界ではハッピーになれないのは、自明なのかもしれません。また、べつの面から考えてみると、あたえたものを受けとるという法則が考えられます。つまり、コントロールしたら、いつかはコントロールされるということです。
コントロールしたり、されたり、勝ったり負けたりがつづくということです。
お金がたくさんある日があったとおもったら、つぎの日には借金がたくさんあるというのを繰り返しているようなものです。これでは、おそらく、ゆたかだとも感じられないし、ハッピーとも感じられないのではないかと思います。
まとめると、こんな感じでしょうか。
・愛が無限ではないと考えていると、だれかから愛を奪おうとする
・愛を奪うためにコントロールドラマを演じる
・コントロールドラマには大きく分けて「脅迫者」「尋問者」「傍観者」「被害者」がある
・コントロールドラマには、勝ち負けがある
・コントロールドラマを演じるための正当そうな理由はいくらでも見いだすことができる
・勝つと一時的に元氣になり、負けると元氣がなくなる
・あたえたものを受けとるのだとすると、コントロールドラマを演じることで元氣になったり元氣がなくなったりを繰り返すことになる
さて、このコントロールドラマの世界から抜け出すとどうなるかというと。コミュニケーションがオープンになって、愛にあふれ、つねにちからづよくハッピーでいることができます。コントロールドラマの世界から抜け出すほうがいいかどうかは、個人個人の選択の問題だと思います。
たとえば、200億円の借金返済がくるしくなったという豪快なおっちゃんがいますが。ある日、本当に返済するお金がなくなりました。貸し主は、あわてて脅迫にかかりました。このとき、「そんなこといわれても、返す金がないんじゃ・・・」と時代劇風に被害者を演じて脅迫者につきあうこともできました。けれど、このおっちゃん落ち着いて、個人資産やしごとの状況などすべてをまとめて、貸し主のところへ赴きました。現状をすべて貸し主に報告したあと、どのように返済していくかを話し合ったそうです。
結局、さらにお金を借りて、おっちゃんの所有していたビジネスを軌道修正することになりました。その後、元氣に働き、完済したそうです。
ことの次第には、細かいエピソードもあることですし、千差万別ですが。いつも元氣いっぱいに生まれてきた価値を発揮するには、コントロールドラマから抜け出すことが簡要といえるでしょう。
そこで、抜け出すにはどうすればいいかですが。
・話の要点に注意すること
・正当そうな理由があるときは注意すること
・自分を責めないこと
・いまできることはなにかに注意をむけること
・自分もしくは相手の元氣がなくなったら、コントロールドラマに入り込んでいる可能性を考えること
・元氣がなくなってきたときは、上をむくこと
・愛にあふれていた過去の自分を思い出すこと
聖なる預言では、
・自分のコントロールドラマのパターンを知ること
と書かれています。
以上
まだまだ、難解な部分もありますが、これくらいにしておきます。少しは聖なる預言に書かれているコントロール心理についての補足になったのではないかと思うとか思わないとか。
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