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さくらの写真をとりにいってきました。
写真とぜんぜん関係ないですが。もし、あなたがいま、なぜそこにいるのか、なぜ目の前のことをしているのか、なぜその職業なのかがわからなくなったとしたら、どうしますか? なにをしますか?
身につけたスキルや能力、技能などはいまのままです。所持品もかわっていません。昨日までなにをやっていたのか、明日からなにをしようとしていたのかは、覚えていません。世界中の人がいまからいっせいに、そうなるとしたら、あなたは、いったいなにを考えてなにをしようとするでしょうか。好みや感性や趣味嗜好などの個性に関することは、変化しないとします。
ほかの人も過去、未来の記憶がありませんので、自分がなにものだったかを人に聞いても判明しません。もし、家族といっしょにすごしているときにこれが起こったら、おそらく、家族であることくらいは推測できるかもしれません。
もし、勤め先で起こったら、ここが自分の職場だということくらいは推測できるかもしれません。自分の名刺を観れば、自分がどんな職業だったのかを推測できるかもしれません。でも、あくまでも推測の範囲です。だれもなにも保証してくれません。
もし、自分が社長だと推測したとして。経営をつづけようとするかどうか。あるいは、つづける意志があっても、過去未来の記憶のないメンバーを再結成できるかどうか。記憶がなくてもあなたのもとで働きたいとなるのかどうか。
記憶がなくても、あなたたちは家族でいようとするかどうか。記憶がなくてもデート中の相手をたいせつにしようと思うかどうか。
瞬時にあなたはなにを考え、どんな行動を起こしますか。
そして、長期的にあなたはどこへむかいますか。
投稿情報: Kenji | 21:22 カテゴリー: 1.スピリチュアルな人生 | 個別ページ
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4月に声にかんするセミナーをするので、いろいろと声にかんすることを考える時間が長くなっています。交渉、プレゼン、説明、相談、いろんな機会に声をだすことがあると思います。
声はいったいどこから出てると思いますか。わたしは、コミュニケーションとはこころの振動だと思っています。かんたんな話し、おなじことばを声に出しても、こころが振動していなかったり、振動が低かったりすると、なんにもつたわらないことがあります。
文字でもおなじで、こころが振動していないと文字の内容もつたわってきません。書道で、おなじ文字が書けたとしても、そこにこころの振動がなければ、つたわってくるものがありません。
こころから話せば、相手のこころにもかならずつたわると思います。いくら話しても、なんにもつたわってない感じがするときってないですか。ことばや氣もちが相手に届いていないような感じがすること。
音楽で、聞いている人に感動をあたえられるのは、演奏者が感動しているかどうかにかかっています。セミナーで、受講者の氣づきがたくさんあるかどうかは、ワークショップリーダーの氣づきの質が重要というのとおなじだと思います。
教師に学ぶ意志がなければ、生徒もそれにつよく影響されているはずです。生徒が走り回っていて教えられない・・・というのなら、教師の内面のなにかが走り回っているということではないかと思います。
いずれにしても、人はこころとこころで響き合っているということをつよく感じます。
あなたのハートはどこにありますか?
インスピレーションで思いついたからだの部分を手で押さえてください。
明日から、3日間、その部分の振動を意識してこころから会話を楽しむと、人生のゆたかさは100倍かわってくるはずです。
投稿情報: Kenji | 21:08 カテゴリー: 1.スピリチュアルな人生 | 個別ページ
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人にかぎらず、成長とは縮小と拡大のくりかえしによっておこる拡張のこと、という側面があると思います。前記事で紹介した方法がそれです。
どんな小さな点でもいいので、自分のなかの天才(縮小)を見つけて、その要素(拡大)を見つけます。行動や体験(縮小)によって、氣づき(拡大)を得ます。そして、その氣づきによってまた、あらたな行動、体験(縮小)をします。くりかえしながら、全体的には拡張していきます。
ということで、いきずまったときに役立つことがあります。
いま、視野は広いか狭いか?
視野が広がっていて行き詰まっているとしたら、視野をせばめて問題解決にあたります。視野が狭まっていて行き詰まっているなら、視野を広げて問題解決にあたります。そうすると、全体的に拡張していきます。
コミュニケーションもおなじ。コミュニケーションの相手の全体や価値観を広く受け入れることも大切だし、ときには、相手の「いいところ」のように細部に焦点をあてることが効果的なときもあります。そうすると、全体的に相手の存在が受け取れるようになってきます。
いやなところばかりが目についたり、あるいは、いいところばかりが目についたりしているなら、いずれ問題にいきあたる可能性が高いといえます。事前に広い視野と細部に焦点をあてるということをしていると、人生がより充実していくのではないかと思います。
投稿情報: Kenji | 18:01 カテゴリー: 1.スピリチュアルな人生 | 個別ページ
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↑大阪城公園から見えた夕日にうつる大阪城。
今日、明日は、ミルトン・エリクソン催眠に関するセミナーを受講しています。主催者のIt'a Beautiful Life.キアヌさんも、講師のかたも、そして受講されてる方々も、とってもパワフルですてきなかたばかりです。
NLPにも大きな影響をあたえているミルトン・エリクソン催眠の基礎と実践がとってもわかりやすく体験できました。
わたしは資料や本やちょっとした映像でしかエリクソンについては知りませんが。おそらく、エリクソンは人をリラックスに導いたり、自分らしさを引き出す天才だったと思います。
そして、NLPの創始者の2人はエリクソンのやっていることをだれでもできるようにモデル化する天才だと思います。エリクソン本人は自分のやっていることをNLPの創始者ほど簡潔につたえられなかったはず。どちらが偉いなんてもちろんなく、野球をする天才もいれば、野球をおしえる天才もいるということ。
料理の天才もいれば、料理のレシピをつくる天才もいれば、料理を食べる天才もいれば、料理を写真にとる天才もいれば、料理の小説を書く天才もいれば、料理の評論をする天才もいれば、料亭を経営する天才もいれば、包丁をつくる天才もいます。
とすれば、あなたは、なんの天才でしょう?
天才の参考基準とは?
・やりはじめると時間をわすれること
・大好きであること
・なぜかうまくできてしまうこと
・ふるいたたせる目標を必要としないこと
いろいろ基準はありますが、今日はとくに1つだけ。「ふるいたたせる目標を必要としないこと」を考えてみようかと思います。
たとえば、バイクづくりの天才が「世界一速いバイクをつくる」というのは、目標ですが、意欲をかきたてたり持続させたりするものではありありません。たとえばパソコンづくりの天才が「世界一うすいノートパソコンをつくる」というのはふるいたたせるための目標ではありません。
わくわくした氣もちを表現すると「世界一うすいノートパソコンをつくる」ということだけです。ここをとりちがえて、「年商○○億え〜ん」とやってしまうと、目標を達成してもしなくてもストレスが過剰になります。
ぎんなんを夢中であつめる人は、人をひきつけるちからを発揮します。この人は「ぎんなん1日何千個」なんて目標をたてているわけではありません。だから、たとえ、ぎんなんひろいで手がくさくなっても笑えるんです。
それを、「ぎんなん1日何千個」という目標をかかげた会社につとめたとしたら、手はくさくなるし、腰は痛くなるし、秋しかしごとがないし・・・といくらでもストレスをためることができます。ぎんなんをひろう天才は、ぎんなんをひろう意欲をかきたてるための目標を必要としません。
日記をつける天才は、日記を毎日書くとかいった目標を必要としません。けれど、毎日、日記を書いて、10年、20年とたったことを考えると楽しくなってくるというのは天才だといえると思います。
とはいえ、とはいえです。誤解のないように書いておくと、意欲をかきたてる、ふるいたたせるための目標が無意味というわけではありません。あなたにとってももっともたいせつなことに集中できるようにするために、「ふるいたたせるための目標」はとても効果的です。
さて、あなたは、なんの天才ですか?
耳掃除の天才
美白の天才
マッサージの天才
香りの天才
笑いの天才
プログラミングの天才
ウェブデザインの天才
手紙の天才
靴磨きの天才
お米の天才
キャベツの天才
根菜の天才
経営の天才
深夜テレビを観る天才
水族館の天才
マンボーの天才
携帯電話の天才
漫画の天才
スタートレックを観る天才
電球の天才
まな板の天才
鉄の天才
シルクの天才
バネの天才
ウールの天才
着物を着る天才
着物を着せる天才
裸足で歩く天才
パンダの天才
時計の天才
時計の針の天才
氣の天才
木の天才
山の天才
山のふもとの天才
山登りの天才
散歩の天才
坂道の天才
あげればきりがありません。。。ちっちゃなことでもいいので、いっぱいあげてみはどうでしょう。どんなにくだらないと思えてもいいので、いっぱいあげてみてはどうでしょう。自分の天命、使命、ミッション、やるべきこと、生まれてきた意味、決定的な個性、いいかたはなんでもいいですが、そういうものがあるはずだと信じてる人は、ぜひ、たくさん書き出すといいと思います。もう、これ以上は書き出せないと思ったら、そこからさらに3つ以上書き出すのがポイントです。この最後の3つがとても重要な意味をもつ場合が頻繁にあります。1日でも、1週間でも1ヵ月でも、納得いくまで書き出しましょう。
そして、あなたのなかの天才の共通点はなんですか? たくさんあげたあなたのなかの天才に共通する要素とはどんなものでしょう。きっと、その共通する要素が、あなたの個性です。
投稿情報: Kenji | 22:14 カテゴリー: 1.スピリチュアルな人生 | 個別ページ
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ほぼ満月ですね。出張のため大阪に来ています。
↑今夜は大阪城公園のちかくに宿泊。
京都へは行くことも多いんですが、大阪に来たのは久々です。電車に乗って、久々に圧倒されました。大阪の電車は大声でしゃべってる人が多い。大阪で育った人のしゃべりへのどん欲さは驚かされます。
そんなおっきな声で話さなくても充分聞こえるだろうと思うのですが、なんせ、お笑い芸人なみに声をはらないと大阪の小学校を卒業させてもらえない。
ひっぱる、あげる、おとすというコミュニケーションスキルは、大阪の人は世界に誇れると思うくらいです。オチを話したいために会話をしているんじゃないかと思えます。オチのない話もむりやりにでもおとしてしまいます。
とくに敬服できるのは、笑わせられなかったときの傷の癒しかたです。会話をしたからには、1つくらい笑いをとらないと、生きて帰れないという関西の氣質はよくしられていますが。それでも、すべってしまうことがあります。
それによってすくなからず傷つくということがあります。そんなとき、関西人は、笑いのとれなかったネタを何度もかぶせる、ということをします。笑えなかったネタを何度も言ってるうちに、だんだん笑えてくるという現象があります。
そうやって、笑えなかったネタも、なんとかして笑いにもっていって、傷を栄光にかえます。
似たようなことで、競馬の騎手が落馬したときには、あることをします。なにをすると思いますが? すぐに騎乗するそうです。多少、骨折していても、優先事項として、すぐに騎乗するんだそうです。そうしないと、次回のレースで恐怖心がわきます。
こころの傷は、その傷ができたところで癒すというのは、1つの効果的な手段だと思います。笑わせられなかったネタという傷は、そのネタ自体をつかって傷を癒します。落馬の傷は騎乗で癒します。
もちろん、この手段がいつも効果的というわけではありませんし、そもそも、傷つく必要なんてないともいえるのですが。もし、傷ついて、それを持ち帰らずに、その場で癒してしまうというのも選択肢としてもっていると、楽しいと思います。
そこで必要になるのが、氣づき力です。「この体験からわたしは、なにを得ただろう?」ということに、どこまで迫れるかです。試験に落ちる、失恋する、人前で失敗する・・・などなど、いろんな場面が考えられますが、そこからいったいなにを得たのか。
氣づきを得られたことに感謝すると、傷が癒えます。
失うという事実のべつの見方を増やすというのは、おそらくゆたかな人生への秘訣の1つです。「失うということは、得るということ」「失うということは、空白ができるということ」「失うということは、得る準備ができたということ」「失うということは、もう必要なくなったということ」「失ったと思っているだけで、初めから所有なんてしていなかった」「失うということは、それをもっと必要とする人がいるということ」「失うということは、もっとも効果的な学び」
傷つくことを癒すというのは、「癒し」が目的ではないとわたしは思います。「傷つき」とは、癒すことをとおして、本当は所有するものも、失うものもなにもないという氣づき、学びの過程だと思います。
なにかを失ったと感じるとき、よ〜〜〜〜く観れば、得ていることのほうがたくさんあることに氣づくと思います。それに氣づきはじめると、きっと、失うものも所有するものもなにもないということに氣づきはじめるのではないかと思います。
そこには、「ある」けど「ない」、「ない」けど「ある」というわけわからん状態があります。ゆたかではないお金持ちの人はお金を「ある」と思っています。わたしの知るところ、ゆたかなお金持ちの人は、お金を「ある」けど「ない」と思っています。すくなくとも、ゆたかなお金持ちの人は、お金があっても「氣に」しません。あってもないかのようにふるまえる人たちです。・・・なんですが、ゆたかなお金持ちの人たちは、お金に無頓着ということではなく、経済的なゆたかさにも敬意と感謝があるように思います。
傷を癒す過程でも、このバランス感覚、中庸が身についてきます。そうすると、ますます人生をめいっぱい楽しめるのではないかなぁと思います。
投稿情報: Kenji | 21:17 カテゴリー: 1.スピリチュアルな人生 | 個別ページ
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父方の祖父が先日、94歳で亡くなりました。素朴でよく働く人でした。わたしの父は、2歳のときに亡くなっていたので、孫といっても微妙なあいだがらでした。それ以上に、夫を亡くしても籍をもどさなかった母はもっと微妙な立場だったのかもしれないと思います。
母はきっと、つらいと思ったことも多かったかもしれないし。20歳代で夫を亡くしてから数年は、なんどわたしといっしょに死のうと思ったことかわからない、といまでもいいます。
でもね、それでもね。わたしは、母の人生はとってもすてきでしあわせだ、と年がたつにつれて思えるようになってきています。そして、わたしの人生も最高にすてきだと感じて、感謝しています。
どんなことがあっても、だれの人生も、それぞれにすてきな人生。
この世界に足りないものはなに1つない。
あるものは、すべて奇跡の瞬間。
投稿情報: Kenji | 00:13 カテゴリー: 1.スピリチュアルな人生 | 個別ページ
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父方の祖父が先日、94歳で亡くなりました。素朴でよく働く人でした。わたしの父は、2歳のときに亡くなっていたので、孫といっても微妙なあいだがらでした。それ以上に、夫を亡くしても籍をもどさなかった母はもっと微妙な立場だったのかもしれないと思います。
母はきっと、つらいと思ったことも多かったかもしれないし。20歳代で夫を亡くしてから数年は、なんどわたしといっしょに死のうと思ったことかわからない、といまでもいいます。
でもね、それでもね。わたしは、母の人生はとってもすてきでしあわせだ、と年がたつにつれて思えるようになってきています。そして、わたしの人生も最高にすてきだと感じて、感謝しています。
どんなことがあっても、だれの人生も、それぞれにすてきな人生。
この世界に足りないものはなに1つない。
あるものは、すべて奇跡の瞬間。
投稿情報: Kenji | 00:13 カテゴリー: 1.スピリチュアルな人生 | 個別ページ
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わたしにとってのゆたかさとは、
・わかちあうこと
・慈愛があること
・感謝があること
です。だから、つねに選択肢を3つ以上もっていることだったり、行動するたびに感謝したり、あたえたり、うけとったり、そんな一瞬一瞬が快楽とつながっています。
ブログに書いていることも、セミナーでやっていることもすべてこの3つが基本になっています。
あなたは、いまやっていることで「そんなことは他人にまかせてしまいまなさい」といわれて、「まぁまぁ、そんなこといわずに、やらせてくださいよ」という時間をどれだけすごしていますか。
「トイレ掃除なんて、業者にまかせてしまいなさい」といわれても「まぁまぁ、楽しみを奪わないでください」とか。「料理なんて全部外食でいいじゃない」といわれても、「まぁまぁ、たまには料理もさせてくださいよ」とか。「社長、ワークショップリーダーは他の人にまかせて、経営に専念してください」といわれても「まぁまぁ、ワークショップリーダーを取り上げないでくださいよ」とか。
「セックスなんて他人にまかせておきなさい」といわれても。。。「食事はロボットにまかせてください」とかいわれても。。。「夢の実現は他人にまかせてください」といわれても。
どれを体験したくて、どれをまかせたいかは、人それぞれです。そして、まかせろといわれてもまかせたくないことを体験しつづけられるかは、人生のゆたかさにおおきく影響すると思います。
ただし、恐怖からの選択ではなく、快からの選択であることがたいせつです。たとえば、がんこな料理人が人に包丁をとがれるのが不安だから、恐怖だからということで、自分で包丁をだるいと思いながら研いでいるのは、わたしはあまりゆたかだとは思えません。包丁を研いでいるとき、料理のことを考えたり、集中できたり、リラックスできたり、わくわくしたりするんだから、その楽しみを取り上げないでくれ、と思えるようなことがゆたかさだと思います。
ところで、問題になるのは、おおくのことを義務感からやらざるおえないと感じていることではないでしょうか。そうやって、やりたいことだけやりたいけど、そうもいかないでしょ、ということ。
それから、イヤなこともだれかがしなければいけないでしょ、ということもあるかもしれません。そういう信念があって、みずから率先してイヤなことをしている人もそれはそれでいいと思うのですが。検証する方法があります。
まず、あなたのイヤだと思っていることをリストにしてください。キーワードをどんどん書き出します。そして、氣もちをこめて、願ってください。「どうか、このわたしがイヤだと思っていることを大好きだという人が世界にいたら、会わせてください」と。もし、会うことがなければ、イヤなこともやる価値があると思います。もし1人でもいれば、世界にはそういう人がたくさんいるということかもしれません。あるいは、もしかしたら、あなたがイヤだと思っていることで、それを大好きでやりたいという人の機械を奪ってるかもしれませんよ。
そして、やりたいこと、大好きなことだけやりたいけど、無理でしょー、とあきらめている人。あきらめつづけるのも1つの方法ですが、べつの方法もあります。
いま、目の前のやらなければならないことを人にまかせたくないという【つもり】になって行動すること。そうすると、あら、ふしぎ。あなたのほんとうにやりたくてやりたくてどうしようもないことが引き寄せられてきます。
こう考えてみるのはどうでしょう。明日、法律が執行されます。どういうものかというと、大好きなしごとばかりやっている人は、べつのしごとをはじめなければいけない。いま現在、大好きなしごとをしていない人は、そのしごとにつく権利と義務があります。ということになったとしたら。しかも、前職の記録は抹消されます。
たとえば、あなたの前職が俳優だったことや、カウンセラーだったことや、教師だったことや、画家だったことなどは、だれも知りませんから、チャンスはあるていど閉ざされた状態で、ふたたび同じしごとをするチャンスは見込みうすです。
大好きなことを始めた人は、大好きなことをできているにもかかわらず、いつものようにグチがはじまります。実際には、それほどあまい世界ではなかったなどといいだしたとします。大好きでないしごとをさせられた人は、たとえば「まぁ、人生そういうこともあるか。」と思いつつ、それを楽しみ始めたとします。
結果、世界がどんなバランスになるかというと。わたしの想像では、結局のところ、好きでないことも、大好きなつもりでやった人が、ほんとに大好きなしごとにおさまり、ほんとは大好きなんだけど、ついついちょっとした不平に押し流されてしまう、ということになるではないかと思います。
ということは、いま、たとえば世界の10%の人が、目の前にあることを大好きな【つもり】で行動していけば、世界のようすはえらくちがってくるのではないかと思います。
投稿情報: Kenji | 00:32 カテゴリー: 1.スピリチュアルな人生 | 個別ページ
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わたしにとってのゆたかさとは、
・わかちあうこと
・慈愛があること
・感謝があること
です。だから、つねに選択肢を3つ以上もっていることだったり、行動するたびに感謝したり、あたえたり、うけとったり、そんな一瞬一瞬が快楽とつながっています。
ブログに書いていることも、セミナーでやっていることもすべてこの3つが基本になっています。
あなたは、いまやっていることで「そんなことは他人にまかせてしまいまなさい」といわれて、「まぁまぁ、そんなこといわずに、やらせてくださいよ」という時間をどれだけすごしていますか。
「トイレ掃除なんて、業者にまかせてしまいなさい」といわれても「まぁまぁ、楽しみを奪わないでください」とか。「料理なんて全部外食でいいじゃない」といわれても、「まぁまぁ、たまには料理もさせてくださいよ」とか。「社長、ワークショップリーダーは他の人にまかせて、経営に専念してください」といわれても「まぁまぁ、ワークショップリーダーを取り上げないでくださいよ」とか。
「セックスなんて他人にまかせておきなさい」といわれても。。。「食事はロボットにまかせてください」とかいわれても。。。「夢の実現は他人にまかせてください」といわれても。
どれを体験したくて、どれをまかせたいかは、人それぞれです。そして、まかせろといわれてもまかせたくないことを体験しつづけられるかは、人生のゆたかさにおおきく影響すると思います。
ただし、恐怖からの選択ではなく、快からの選択であることがたいせつです。たとえば、がんこな料理人が人に包丁をとがれるのが不安だから、恐怖だからということで、自分で包丁をだるいと思いながら研いでいるのは、わたしはあまりゆたかだとは思えません。包丁を研いでいるとき、料理のことを考えたり、集中できたり、リラックスできたり、わくわくしたりするんだから、その楽しみを取り上げないでくれ、と思えるようなことがゆたかさだと思います。
ところで、問題になるのは、おおくのことを義務感からやらざるおえないと感じていることではないでしょうか。そうやって、やりたいことだけやりたいけど、そうもいかないでしょ、ということ。
それから、イヤなこともだれかがしなければいけないでしょ、ということもあるかもしれません。そういう信念があって、みずから率先してイヤなことをしている人もそれはそれでいいと思うのですが。検証する方法があります。
まず、あなたのイヤだと思っていることをリストにしてください。キーワードをどんどん書き出します。そして、氣もちをこめて、願ってください。「どうか、このわたしがイヤだと思っていることを大好きだという人が世界にいたら、会わせてください」と。もし、会うことがなければ、イヤなこともやる価値があると思います。もし1人でもいれば、世界にはそういう人がたくさんいるということかもしれません。あるいは、もしかしたら、あなたがイヤだと思っていることで、それを大好きでやりたいという人の機械を奪ってるかもしれませんよ。
そして、やりたいこと、大好きなことだけやりたいけど、無理でしょー、とあきらめている人。あきらめつづけるのも1つの方法ですが、べつの方法もあります。
いま、目の前のやらなければならないことを人にまかせたくないという【つもり】になって行動すること。そうすると、あら、ふしぎ。あなたのほんとうにやりたくてやりたくてどうしようもないことが引き寄せられてきます。
こう考えてみるのはどうでしょう。明日、法律が執行されます。どういうものかというと、大好きなしごとばかりやっている人は、べつのしごとをはじめなければいけない。いま現在、大好きなしごとをしていない人は、そのしごとにつく権利と義務があります。ということになったとしたら。しかも、前職の記録は抹消されます。
たとえば、あなたの前職が俳優だったことや、カウンセラーだったことや、教師だったことや、画家だったことなどは、だれも知りませんから、チャンスはあるていど閉ざされた状態で、ふたたび同じしごとをするチャンスは見込みうすです。
大好きなことを始めた人は、大好きなことをできているにもかかわらず、いつものようにグチがはじまります。実際には、それほどあまい世界ではなかったなどといいだしたとします。大好きでないしごとをさせられた人は、たとえば「まぁ、人生そういうこともあるか。」と思いつつ、それを楽しみ始めたとします。
結果、世界がどんなバランスになるかというと。わたしの想像では、結局のところ、好きでないことも、大好きなつもりでやった人が、ほんとに大好きなしごとにおさまり、ほんとは大好きなんだけど、ついついちょっとした不平に押し流されてしまう、ということになるではないかと思います。
ということは、いま、たとえば世界の10%の人が、目の前にあることを大好きな【つもり】で行動していけば、世界のようすはえらくちがってくるのではないかと思います。
投稿情報: Kenji | 00:32 カテゴリー: 1.スピリチュアルな人生 | 個別ページ
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