最近、1日の時間がどんどん短くなっている……
とか、一説ではいわれてます。
時間の概念が通用しなくなったらどうなるんでしょう……。
大昔から、過去から未来につづく直線的な時間は、
人がつくりだした概念にすぎないことは、よく知られてます。
見かけ上、過去から現在、未来へとつみかさなっているように感じるのは、
あらゆるものの合意事項で成立している概念だから。
人類、みんなで、24時間っていうのは、これくらいの感覚にしましょうよ
ってことに合意した感覚ということ。
ただし、時間の概念は、人類の合意だけでなく
ほかの決定事項もありますが……とかいいだすと、本題に入れないので。
わたしの感覚では、数ヶ月前の24時間は、いまの19.2時間くらいです。
数ヶ月前とおなじ時間感覚ですごすと、地球が1周するのに、19.2時間しかかからないということ。
まぁ、ややこしいですね。
時間が短くなっているのが真実だったとしても、この観点ではほとんど意味も変化もないので。
1日の時間が短くなったぶん、時計が1回転するのも、見かけ上、
早まってるわけですから、変化が真実だったとしても氣づく必要がありません。
わたし、思うに、ポイントは、もっとダイナミックな部分にあります。
願望・想念→予兆→実現の速度が速まってる。
ちなみに、願望の実現する速度がちぢまっているというのは、
世界の願望実現マスターたちの多くが認めています。
願ったことが想念(意志)になって、それが実現するまでには
合意された経過時間がギフトとして用意されてました。
だから、わたしたちは、実現するまでのあいだ、予兆を受けとって
修正する選択肢をもっていました。
「こんなの壊れてしまえばいいのに」という願望が芽生え、
想念として発したとします。
ひとむかし前なら、「おいおい、ホントに壊れちゃっていいの?」
という予兆を時間と体験をとおして受けとることができました。
結局、あたえたエネルギーがかえってくるとすれば、
「壊れてしまえばいいのに」という想念が自分にかえってくるということです。
だから、「ホントに、自分が壊れてしまっていいの?」と
問いただすための予兆をなんらかの体験として受けとれていました。
今後、もし、時間が短くなりつづけるのであれば、
どんどん、この予兆が薄れていきます。
極端にいえば、「壊れてしまえばいいのに」と思った瞬間に「壊れる」ということが起こります。
とどうじに「壊れる」エネルギーを自分でも受けとることになります。
そりゃぁ、もう、モーフィアス状態です。
武道をマスターするのに、時間は必要ありません。
速く動こうとする必要はありません。
「速いと知れ!」と叱咤激励されるしつ。
時間が短くなりつづけるかどうか、わたしは知りませんが。
願望実現のマスターたちが感じているように時間が縮まりつづけているとしたら。
純粋であることがしあわせのカギです。
「正しくあろうとする葛藤」を手放すことが自由へのカギです。
「一瞬の判断」といわれるように、
判断は時間を必要とする概念です。
正しくあろうとすれば、判断が必要です。
正しくあろうとすればするほど、判断が多くなるから、多くの時間が必要になります。
「正しくあろうとする葛藤」を手放して、
純粋さを取り戻すことが、満たされた願望実現につながります。
正しくても正しくなくても、自分らしくあればいいです。
この説でいうと、自分らしくない状態とは、
葛藤のある状態。
たとえば、親は子どもに対して最大の愛で
「心配」を表現することがあります。
「そんなことはやめて、ちゃんと働きなさい!」というのは、
愛情で、それが「心配」という形態で表現されたものです。
「親の願いをかなえたい」
「自分の道を行きたい」
「自分は、もう大人だ」
「親のほうが心配だ」
正しくあろうとする葛藤が判断になり人生の抵抗になります。
いわゆる、コントロールドラマ確変モード発動です。
なにかしら、こころに抵抗のある状態が、
自分らしくないことです。
これが、自分らしくあるとどうなるか。
「あぁ、愛してくれてるんだね」となる。
そこで、自分らしくないな……という葛藤を感じたとき、どうするか。
その体験をとおして、
自分の内にある葛藤に氣づけたことに感謝する。
これだけで、日々、自分らしさを磨くことができます。
究極の純粋さであり、究極の表現です。
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