sting
といえば、だましたり、法外な料金を請求すること。
映画『スティング』が有名ですね。
古今東西いろんなスティングがありますが。
こんな話がありました。
くわしくは書きませんが、概略は。。。
子どもが今日、産まれるかどうかを賭博の対象とするもの。
妊娠中のAさんに子どもが産まれるか産まれないかに50ドル賭けるというもの。
主人公は、産まれるほうに賭けつづます。
陣痛を遅らせたりするベタなスティングはしないんですが。
なかなか産まれてきません。
賭け金は50ドルのみ。
賭け率は2倍。
・・・残念。
産まれても100ドルしか入ってきません。
でも、産まれるまで50ドルを払いつづけます。
・・・残念。
お話としては、このトリックに気づかないよ〜にコミュニケーションするのがミソ。
なのですが、そのミソは、ここでは書かないとして。
ポイントは2つ。
・産まれたら賭が終わってしまうこと
・初日に産まれなければ、かならず支払いが多くなること
こんな賭を知らず知らず、人生のなかで演じていないか・・・
氣になりました。
★起業が成功するかどうか?
★企画がとおるかどうか?
★結婚がうまくいくかどうか?
★夢がかなうかどうか?
★雨が降るかどうか?
★いい波がくるかどうか?
結果はただの通過点。
結果を得たからといっても、よほどのことがなければ、たいていそのまま人生がつづきます。
1つの結果を出すことにエネルギーを払いつづければ、
手にするエネルギーの少なさに不満をいだきます。
「結果を出したんだから褒美をくれ!」というのは、ストレスのもと。
「この日のためにエネルギーをそそいできたんだ」といっても、だれも聞いてくれません。
結婚できたからしあわせになれるとか、
起業が成功したから憂いがなくなるとか、
そういうものでもないと思うのです。
結婚、それ自体がエネルギーの受けとりだし、
起業の成功そのものがエネルギーの受けとりだと思う。
この日のために毎日50ドル払いつづけてきたんだといっても、
かえってくるのは、100ドルです。
たいせつなことは、結果は通過点であるということと、
結果というエネルギーをちゃんと受けとっているということ。
50ドル払うなんてムダですよ・・・といいたいわけでなく。
それがモチベーションになるならそれもナシではないかもしれない。
でも、賭けても賭けなくても、
子どもが産まれるというすばらしい体験は、おとずれます。



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